【明治期・要確認】井手の地で茶業を始める。
当時の井手は宇治に碾茶・玉露の原料を供する産地でした。
STORY OF IDE
五代続く井手の茶園と、受け継がれる宇治茶の時間。
IDE, KYOTO
京都府綴喜郡井手町。京都と奈良を結ぶ古道の中ほど、玉川の清流に沿って開けたこの町は、万葉の時代から山吹の名所として歌に詠まれてきました。
山あいに朝霧が立ち、昼夜の寒暖差が茶葉に旨みを蓄えさせる——宇治茶の主産地のひとつとして、井手の茶は八百年にわたり京の茶文化を支えてきました。八木家の茶園は、その井手の山裾にあります。
京都府南部、宇治茶産地の一角にある井手町。京都・奈良観光とも結びやすい立地です。
FIVE GENERATIONS
当時の井手は宇治に碾茶・玉露の原料を供する産地でした。
時代の変化の中でも、茶園と茶業の営みを次代へ繋ぎました。
抹茶の原料となる碾茶づくりへ、茶園の形を整えていきました。
畝、棚、土、道具。いまの茶園を支える基盤がここにあります。
受け継いだ茶園に加え、放棄された茶園の再生に着手。茶園から世界へ届けるブランド「MATCHA HIGH」を立ち上げます。
INTERVIEW
私は農家の生まれではありません。井手の茶園に出会ったとき、最初に感じたのは「美しい」ということと、「このままでは消えてしまう」ということでした。技術も経験もないところからのスタートでしたが、この風景を次の世代に残す側に回りたい。理屈より先に、鳥肌が立ったんです。
名前は、続いてきた時間そのものです。私一人の事業ではなく、四代の仕事の続きを書かせてもらっている。だからこの名を背負うことにしました。
茶園を「守るべき遺産」で終わらせず、「働きたい場所」「訪れたい場所」にすることです。それができて初めて、宇治茶は次の100年に残ると思っています。
YAGI TEA GARDEN TODAY
ARCHIVES
百年前の図に描かれた仕事を、いまも同じ土地で続けている。『製茶之図』と八木茶園に残る記録を通じて、茶づくりの時間を辿ります。
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